お手軽な感動

バリアフリー観察記2002年

お手軽な感動

「中学生らしく」という言葉に、とても反発した時期があった。「らしさ」とは何か? はっきり分かるように説明してくれ! という気持ちだった。子どもらしく、スポーツマンらしく、と聞くたびに、つかみどころがなく得体のしれない決め付けを押し付けられているような気がした。

 道で転んで泣き出した息子に「男の子だろ。泣かないで」なんて言葉をかけながら抱き起こし、アンパンマン人形の取り合いが始まれば「お兄ちゃんなんだから貸してやりなさい」なんて仲裁している自分に気付くたび、あのころの気持ちを忘れてしまったのかな、と思いながら、結局「らしさ」は、自分勝手な都合なんじゃないか、と思えてくる。

 男らしい、女らしい、若者らしい……。「らしい」という言葉は、褒め言葉として使われることが多い。その反対に「らしくない」という言葉は、マイナスの意味で使われることが多い。父親らしくない、子どもらしくない、若者らしくない……。その中で、プラスの意味として使われている数少ない例が「障害者らしくない」だろう。足が不自由なのに富士山に登った、脳性マヒがある人が結婚をして子どもを生んだ、障害があるのに積極的に社会参加をしている……。盲目のロックシンガーがいる。彼は、身長180センチ、体重70キロ。茶褐色の長髪をなびかせながら黒革のスーツ姿でギターを肩に闊歩するたび「障害者らしくないですね」と褒められるという。

 目が見えない人が教壇に立ったり、思うように手足が動かない人が美しい絵を描いたりするのを見ると、すごいなと思う。でも、それって本当に「障害者らしくなさ」なんだろうか。
 長野オリンピックの後には、パラリンピックが開かれた。片足で急斜面を滑り降りるスキー選手、ソリのようなスケートを使うスピードスケートやアイスホッケーを見て、感動した。こんなことができるなんてすごい! って。でも、そのうちに違和感を感じ始めた。感動した気持ちにウソはないけれど、原田選手の大ジャンプを見たときの感動とは、異質に思えてきたのだ。
 スキーの滑降では全盲の人が急斜面を滑り降りてくる。アイスホッケーではソリに固定した体を激しくぶつけ合いながらパックを奪う……。彼らの姿は、障害者のイメージを打ち壊すものだった。

 でも、その活躍をすごいと感じれば感じるほど、自分がイヤに思えてきた。障害者は自分よりできることが少ないとタカをくくっていた分、そのギャップの大きさに驚き、感動していたことに気付いてしまったのだ。
 結局、自分が彼らのことを何も知らなかったことが感動の原因だと知ってしまったことで、10日間の大会が終わるころには、ペシャンとへこんでしまった。勝手に誤解をして勝手に感動していたなんて……。自己完結型の何とお手軽な感動ぶり。

「中学生らしさ」なんてものがやっぱりなかったように「障害者らしさ」なんてものもないはずだ。らしさがあるとすれば「自分らしさ」といったものだろう。でも、自分らしさを自分で話すことはできても、他人がその人らしさを決めてしまうことはできない。
 障害者にとっての住みにくさや暮らしにくさは、街の中の物理的なバリアだけではない。

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Last Update : 2003/02/24