「君が『あなたの気持ちはよく分かります』なんて言ったら、僕は、嘘をつくな! と思うだろう」
車いすに乗っている男性からそう言われたとき、気持ちがホッとしたことを覚えている。
その後も彼はいくつかの言葉を続けた。自分たちの本当の思いは同じ立場にならなければ分かるものではないこと、そして自分たちの気持ちを、健常者に100パーセント理解してもらおうなどとは、さらさら期待していないこと。
そして、最後にこう付け加えた。
「障害者は別の世界に住んでいると思ったほうがいいよ」
当時は、障害がある人を対象にした情報誌の編集に携わり始めたばかりのころだった。知識や経験がまったくないテーマを前に、あまりに気負い過ぎていた私への思いやりの言葉だったと、今でも忘れられない。
障害者の立場を理解し、彼らの気持ちを十分に理解しなくてはいけないという思いがある一方で、本当の意味では理解できそうにない、といった気持ちをとても重荷に感じていた時期だった。歩くことができない、見えない、聞こえない、話せない……ということの本当の気持ちは、どんなに言葉を費やしても自分には理解することはできない。そのことに気付いていながら、取材のときには「あなたの立場はよく理解していますよ」といったそぶりを見せなければいけないと思い込んでいた。
そんな気持ちを打ち明けたときに返ってきたのが、冒頭の言葉だった。
交通事故で両脚が不自由になった知人がいる。目が見えなかったり話ができなかったり、重い脳性マヒがあったり……。自分より重度に見える人に対しては、ついつい遠慮がちな態度を取ってしまう、と彼女。自分と同じ気持ちの人が他にもいるのだと知って、安心した。
「人の気持ちになって考えなさい」「あなたがその立場だったらどうするかを考えなさい」と、子どものころから教えられてきた。小学校時代の読書感想文の常套句は「僕が○○さんだったら、そんなことはできないと思います」だった。
「人の立場になって考える」という言葉だけが、中途半端に自分の中にはあった。当事者の気持ちを同じ立場で理解することは決してできないにもかかわらず、それを「できる」と勘違いし続けてきたことを思えば、意に反して傷付けたり、不愉快にしてしまったりした人たちがいるかもしれない。
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