もともとの意味や語源を知ると「そうだったの?」と驚いてしまう言葉がある。例えば未亡人。「未亡人の○○さん」なんて言ったりするけれど、もともとは「最愛の夫に先立たれながらもいまだに夫のもとへ行けない者」という意味らしく、かつては本人が自嘲して使っていたらしい。こうなると「未亡人の○○さん」などとは間違っても言えない。それから、御曹司。財閥や大会社社長の跡取り息子という意味で使っているけれど、その始まりは「家督を継いだ長男に養われて暮らす居候息子」の意味らしい。これまた「あの方のご主人は、○○会社社長の御曹司よ」などとは使えない。
気を付けてみると、これはどうなのかな? と思う言葉が結構ある。「女々しい」「雌雄を決する」なんて言葉は、女性にはどう聞こえているのだろう? そう思うと「姦しい」(かしましい)という字も使いにくくなってくる。女性のスポーツ選手について「○○選手は男まさりのワイルドさが持ち味」とか「夫の協力を得て立派に家庭と両立している」などと書かれた記事も、妙に引っかかる。「日本人離れ」なんていう言葉が褒め言葉として使われるのは、何とも自虐的だと思えてくる。
障害がある人はどう思っているのかな? と考えてしまう言葉も、結構ある。入学試験が終われば「足切り」、ミスをすれば「片手落ち」、組織がうまくまとまらなければ「片肺飛行」、試合でやっと1勝を挙げれば「片目が開いた」……。テレビドラマで「わしの目の黒いうちは…」などという長老のセリフが気になりだすと、選挙のたびに政治家がダルマに目を入れるパフォーマンスにさえ引っかかるようになってくる。
そしてもう一つ、障害者本人や、そのまわりにいる人たち自身もよく使うハンディキャップという言葉も、どうも使いにくくなってしまった。「障害」と言うよりは「ハンディキャップ」と言うほうが聞こえはソフト。ところが、英語圏には帽子を手にして路上で施しを乞う姿を意味する「Hand in cap」に由来すると主張する人たちが少なくない。文法からすれば「Cap in Hand」になるはずで、根拠のない俗説だという反論もあるけれど、抵抗を感じている人が多いと聞けば、やはり使いにくい。
名詞や固有名詞の中には時間とともに本来的な意味を失い、中性的な記号となっていくものがある。朝7時から夜11時までの営業からスタートしたセブンイレブンが24時間営業になった今でも「セブンイレブン」として定着していたり、1981年に結成された少年隊の3人が、35歳を大きく超えた今でも「少年隊」であったりする。
言葉には自分のことを指し示すものと他人のことを表現するものがあるけれど、後者については気になってしまうことがある。言葉の意味や使われ方は時代とともに変化していくだけに、使っていても悪意がないことがほとんど。また、同じ言葉でも人それぞれに使い方や受け取り方が違うこともあるだけに、やっかいな問題だ。
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