「電車に乗っているとき、僕が目の前に立ったら席を譲りますか?」
ある男性と雑談をしていたとき、そう聞かれた。
「譲ると思いますよ」
目が見えず、白い杖を使って歩いている彼が前に立ったらどうするかというのだから、そう答えた。
彼が電車やバスに乗ったとき「席は空いていますか?」と尋ねると、ほとんどの人が自分の席を譲ってくれるという。「足が不自由なわけではないから、空いていなければ『空いていない』と教えてもらえればそれでいい」と彼は言うのだけれど……。見えない人も聞こえない人も、手足が不自由な人も、みんな同じ障害者ととらえていただけに、彼の話は意外ではあった。
その彼も、席を譲る側の気持ちを十分に理解していた。自分が目の前に立つだけで余計な気遣いをさせては申し訳ないと、吊り革にはなるべくつかまらず、入り口のドアのすぐ横に立つようにしているという。もちろん、よほどのことがないかぎり「席は空いていますか?」などと聞くこともない。その結果、席が空いていても、それを知ることはできなくなった。
「席を譲るなら、自分より妊婦さんに譲ったほうがいい」
そう言いながら、彼は小太りの人と妊婦さんの見分け方を教えてくれた。妊婦さんは自信に満ちていて、小太りの人は申し訳なさそうにしている――。そんなジョークを言って彼は笑っていた。
またあるとき、軽い脳性マヒがある女性からさらに意外な話を聞いた。歩くのが不自由な彼女は、電車やバスに乗ると席を譲られることが多いのだけれど「本当は立っていたほうが都合がいい」と言う。
「?・?・?」
なぞなぞみたいだと思ったが、理由は簡単だった。
「一度腰を下ろすと、立ち上がるのが難しいから」
一番端の席ならポールに手をかけることができるものの、中ほどに座ってしまうと両隣の人の肩に手をかけでもしないかぎり立ち上がることができないというのだ。なるほど! そういえば、脚が弱くなっている高齢者も利用する優先席(シルバーシート)でさえ、ひじかけ付きのものは見たことはない。
「でも、譲ってくれたものを断るのも悪いし…」と彼女。
思いやりというと、健常者が障害者に、若者が高齢者にといったイメージでとらえていたけれど、実際にはそんな一方的なものではなかった。
それにしても、お互いが相手を気遣うことでかえって不自由な思いをしているというのは、何とも滑稽な話だ。その優しさがスムーズにキャッチボールされれば、せっかくの善意は次にまた生かされるのに。
人が何に困っているのかは、本人以外には想像することしかできない。それならば、いきなり「どうぞ」と席を立たなくても「かけますか?」と相手の意思を聞くだけで状況は変わりそうだ。せっかくの善意を断られれば腹立たしくもなるけれど、問いかけへの答えが「結構です」であれば、気持ちはずいぶんと違ってくる。聞かれた側も「足は大丈夫なので結構です」と笑顔で答えれば、新たな理解が広がるはずだ。
思いやりを持つならば、一つ先を思いやれるようになりたいと思う。目が不自由な人も歩くのが不自由な人も、揺れる電車やバスの中では、座れたほうが本当は安心できるのだろうから。
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