もう一つの就職難

バリアフリー観察記2002年

もう一つの就職難

 小学生のころ、自分が将来プロレスラーになってしまうことをとても恐れていた。
 アントニオ猪木にジャイアント馬場といったヒーローのほか、覆面レスラーのミルマスカラスやデストロイヤー、悪役のアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、タイガー・ジェット・シンなどなど、個性的なレスラーがオンパレードのプロレスは、人気スポーツ番組の筆頭で、学校でのプロレスごっこは休み時間のメインイベントだった。

 当時、日本の人気レスラーと外国人の悪役レスラーの対戦は好カードで、場外乱闘と悪役の凶器攻撃は定番。リングの鉄柱に頭をたたき付けられたり、リング下に隠されていたブリキのバケツが使われたり、客席のパイプいすが奪われたり……。日本人レスラーの額が割れるのは、一つの慣わしでさえあった。
「まかり間違ってプロレスラーになってしまったら、あのブッチャーやシークと戦わなければいけないのか……」
 休み時間にはジャイアント馬場役を買って出ても、夜寝るときはそんなことを考えて、とても気持ちが重くなったものだった。

 大学4年生になると「就職」が日常の話題に上るようになった。そんな中で意外だったのはアルコールがまったくダメという友人の話だ。
「僕は、小さいときから公務員になるのが夢だった」
 地元に帰って体育の教師になりたいという希望は知っていたけれど、公務員という堅実なイメージに「小さいときからの夢」というフレーズは直接的にはつながりにくい。ところが、彼の話は実に切実なものだった。

 バブル絶頂期の当時、企業戦士と呼ばれたサラリーマンの仕事は、夕方5時からが本番だった。取引先の担当者と酒を飲みながら関係を深め、仕事がスムーズにいくように接待、接待の毎日。ちまたでは「24時間戦えますか!」なんていうドリンク剤のCMソングが流行ったりしていたころだった。
 民間会社に勤める人にとって「接待ができること」は、運転免許を持っていることと同じレベルでの必要条件であることを、彼は子どものころから察知していた。「民間企業に就職してしまったらどうしよう」などと考えて、眠れない夜を過ごしたことがあるのかもしれない。

 アトピー性皮膚炎のために仕事を辞めた知人がいる。肌がかさつく程度ならまだしも、ひどくなると皮膚がやけどを負ったようにボロボロになって剥がれ落ちてしまう。大人のアトピーは子どものものより質(たち)が悪いらしく、仕事のストレスが原因とされた場合は、収入と直結するだけに対応が困難だ。最近は大人の患者が増えているということで、究極の選択を突き付けられている人は結構いるのではないだろうか。

 子どものころに夢見た職業にそのまま就ける人は多くないのかもしれない。でも、アルコールがダメな友人がお酒を飲めれば、もう少し多くの選択肢があったはずだし、アトピーで会社を辞めた知人も、それがなければ好きな仕事を続けることができたはずだ。

 失業率が悪化する中で障害者の就職難にも拍車がかかっている――そんなニュースを目にしながら、障害とはされていないものの、本人にとってはそれに匹敵するほどの身体的な不具合で悩みをかかえている人は、意外にたくさんいるのではないかと考えた。

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Last Update : 2003/02/24