障害とは何か――1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボールチームの主将・中村昌枝さんの話を聞いたとき、その答えを一つ教えてもらった気がした。
ある会議の席で中村さんが披露した選手時代の話は“鬼”とまで呼ばれたほど厳しい大松博文監督の指導にとても感謝している、といった内容だった。その結果、オリンピックで金メダルを手にしたわけだから当然といえば当然。でも、感謝している本当の理由には「なるほど」と思わされるものがあった。自分が金メダリストでなければ、今ごろは「異様に体が大きな女」として、肩身の狭い思いをしていただろう、というのだ。
中村さんの真後ろにいたけれど、目の前に広がるその背中は確かに並ではない。1933年7月14日生まれ。65歳を過ぎていたものの、肩幅も背丈も、私より広く高く見えた。恐らく、手のひらも、私よりずっと大きいはずだ。
女性には、背が高いことにコンプレックスを感じる人が結構いるのだと、その後、何人かの知人に取材をして知ることになった。パーティーの席などで女性のスポーツ選手を観察してみると、バレーボールやバスケットボールの選手はかかとの低い靴をはいていることが多い。
体のことでまわりから奇異な目で見られるという点は、障害を持つ人の立場と似ているな、と思ったが、そのうちに、障害者に対する自分の見方は間違っているのかもしれないと思えてきた。手や足がなかったり、顔をくしゃくしゃにゆがめて話したりと、外見が違うから奇異な目で見てしまうのだと思っていたけれど、中村さんの話をそのまま理解すれば、背の高さや手足の有無といった外観は無関係で、社会的な立場があれば好奇の対象にはならないし、障害や身体的な特徴も気にはならないということになる。中村さんの場合は、オリンピックの金メダリストであることが社会的な立場で、中村さん自身も、背が高いことをコンプレックスに感じている様子はなかった。むしろ、体格に恵まれたことで、金メダリストになれたという思いがあるのだと感じた。
アメリカの大統領候補にまでなったドール上院議員は手が不自由だったし、イギリスの天才宇宙物理学者ホーキング博士はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患っていた。ミュージシャンのスティービーワンダーは目が見えないけれど、彼らの障害を私は「そういえばそうだったね」という程度にしか意識してはいなかった。
社会的な立場というと漠然としているものの、それは「役割」や「仕事」と言っていいかもしれない。パラリンピック選手の中には、自分たちが活躍することで「障害者に対する世の中の見方が変わり始めていることを感じている」と言う人がいるけれど、それは、アスリートとして認知されたことによる変化を感じているのだろう。
役割さえ持つことができれば、障害があることなど意識されなくなる人たちは、おそらくたくさんいる。その役割は、最後は自分自身で見付けていくしかないけれど、環境が整えばよりスムーズに役割を担えるようになるだろう。定年退職をした人が急に老け込んでしまう姿を見ていると、つくづく、役割が人を支えているのだと思う。ただしそれは、障害者としての役割であっては意味がない。
トップへLink