ゆがんだ記憶

バリアフリー観察記2002年

ゆがんだ記憶

 長らく、障害者と呼ばれている人たちは怖い存在だと思っていた。分かりやすく言えば、自らの権利を強く主張する圧力団体といったイメージだ。不都合を押し付けられたこともなければ、嫌な思いをしたことがあるわけでもない。それどころか、直接言葉を交わしたことすらなかったにもかかわらず、だ。
 それが差別なのだと言われれば、そうなのかもしれない。でも、そのイメージがどこからきたのかは、実のところよく分からない。

 障害とは無縁の世界で暮らしていた私の情報源はテレビや新聞といったものだけれど、メディアの中の障害者は、概して極端だ。ドキュメント番組では不幸にもめげずに懸命に生きる姿ばかりが紹介されるし、ドラマでは、どこか影があったり妙にわがままだったりする。
 ドキュメント番組の中の姿にウソはないけれど、それは、ごく一部分を切り取っているだけでしかない。わがままだったり暗く影があったりする人もいるだろうけど、実際にはそうでない人もたくさんいる。「障害者=真面目」というイメージを持っている人がいるものの、血液型がA型の人が真面目で緻密で保守的だとは限らないように、みんな、一人ひとり違っている。当たり前といえば当たり前。でも、私の中のイメージは、こうしてゆがんでしまったのかもしれない。

 漠然としていたイメージが、より強い記憶になった出来事が二つある。一つは、使いにくい駅の改善を訴えるために、何人もの車いす使用者が一度に駅に詰めかけるという作戦があると聞いたとき。エレベーターがないため駅員さんが2、3人がかりで階段を持ち上げていくのだが、10人も集まれば改札業務さえままならなくなり、到底対応し切れない。車いすを使う人たちにとって駅がいかに使いにくいかをアピールするとともに、自分の力で利用できる駅の実現を求める実力行使だ。
 もう一つは「自分たちが自由に出かける権利が奪われている」という表現を目にしたとき。車いすに乗って移動しようにも、段差が多くて自由に出歩くことができない現状を訴えた記事だった。不満の気持ちがよく表れてはいるけれど「奪う」という言葉をあえて使うことにショックを受けた。
 車いすで駅に詰めかける行動も「権利が奪われている」という表現も、すべての障害者を代表しているわけではないけれど、障害について素人の私の中には「障害者=怖い」という構図ができ上がった。

 こうしたゆがんだ記憶は、当事者たちと実際に出会うことによって解消されていった。ファッションに興味があれば冗談も言い、もちろん、異性にだって関心がある。酒やギャンブルが好きで、人並みに煩悩を持っている、という人は稀ではなかった。その姿は「怖い」といったものとはおよそほど遠く、むしろ、自分と同じ、ごく普通の人たちだ。権利を強く主張する人も確かにいるけれど、そういう人は障害の有無にかかわらず、どこにでもいる。

 立場が弱い人の声は、正し過ぎるだけに怖い。電車には自由に乗り降りできるほうがいいし、だれもが自由に街を移動できるほうがいい。みんなが快適に暮らせるほうがいいに決まっている。真正面から意見をぶつけられたら、返す言葉などない。それだけに、激し過ぎる行動が、誤ったイメージを生んでしまうのではないか、新たな溝や距離ができてしまうのではないか、不要な誤解を生みはしないか、と心配になってしまう。怒りに任せた行動が、悪意ある人に逆に利用されはしないかとも気にかかる。

 北海道で生まれたと言えば「スケートが上手なの?」と聞かれ、新潟で育ったと言えば「スキーが上手なんだ」と返される。そんなこと、あるわけないでしょ! と言いたいけれど、自分が反対の立場だったらやっぱり同じことを聞くと思う。「アフリカのイメージって、どんな感じ?」と問われれば、答えに窮してしまう。「ライオン」「象」「砂漠」「狩猟生活」……。あまりに偏りすぎていて、口にするのも恥ずかしい。
 経験から言えることは、イメージや記憶といったものは、良くも悪くも、実にあいまいで適当に作られるということだ。

 健常者を中心にした街づくりがバリアを生んでいることが紛れもない事実で、それに対する不満の気持ちがわいてくるのは当然だ。でも、理解者を増やしていく方法を考えることも、より暮らしやすい社会を実現させる一つの現実的な方法ではないだろうか。何しろ、バリアフリーな社会をつくることは障害がある人とそうでない人との共同作業でありながら、世のほとんどの人は、まだ一度も車いすを押したことすらないのだから。


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Last Update : 2003/02/24