スマートなバリアフリー

バリアフリー観察記2002年

スマートなバリアフリー

 技術の進歩が、いとも簡単にバリアをなくしてしまうことがある。携帯電話はその好例だ。
 声でのやり取りができない耳や言葉が不自由な人たちの間には「公衆ファクシミリ」の設置を求める声が長らくあった。一度外出をしてしまうと待ち合わせの場所でうまく会えなくても確認手段がなかったり、急な用件で家族や友人、職場に連絡をしようにも方法がなかったりで、どうにもならなかった。
 ところが、携帯電話で文字をやり取りできるようになって、いとも簡単に問題が解決してしまった。公衆ファクシミリがないという状況は変わっていないものの、携帯電話の一つの機能がそれに代わる便利さを実現したわけだ。通信会社が違うと相手に届くまでに時間がかかるといった課題があるが、いつでもどこからでも連絡が取れるという安心感は絶大だ。最近ではリアルタイムの動画をやり取りできるタイプが登場したことから、携帯電話を持ちながら、カメラに向かって「片手でできる手話」を研究し始めた人もいる。

 携帯電話にはさまざまな機能が搭載されるようになったけれど、目が見えない人は、タッチパネル式のATMと同様に画面の中に表示される機能を使いこなすことができなかった。ところが、電話番号やメールの内容、画面に表示される機能を音声で読み上げたり、声で機能を呼び出したりできるタイプが加わって、いくつもの機能が視覚障害者にも身近になった。「ジュシンメール」などと声をかけるとその機能が立ち上がるわけだから、機械の操作を苦手とする人にとっても重宝だ。

 長らく解消されることがなかったバリアが、今、目の前から消え始めている。街の中では子どもから大人までが至るところで忙しそうに指を動かしているけれど、電子メールをやり取りする「メルとも」には、聴覚障害者と聞こえる人の間にバリアは存在しない。着信だって、ブルブルという振動で知ることができる。インターネット上では文字によるリアルタイムの会話(チャット)がはやっているけれど、対面ではうまく話せなくても、メールやチャットといったやり方なら自分の気持ちをうまく伝えられるという人もいる。英会話は上手くできなくても、短いメールのやり取りでなら、辞書を使って外国人にちょっとした気持ちを伝えることもできる。

 常に監視されているようで息苦しいというビジネスマンがいる一方で、親もとに暮らす彼女への連絡が取りやすくなったと喜んでいる男性も多い。私自身、財布の中には3年ぐらい前のテレホンカードが入りっ放しだ。携帯電話がなかったら、目が不自由な人は今日もたくさんの人に「すみません…」と声をかけながら公衆電話を探しているだろうし、車いす使用者は車いすマラソンのトレーニングなみに街中を走りまわりながら車いすのまま入れる電話ボックスを探しているに違いない。

 パソコンの驚異的な普及は、インターネットや電子メールを楽しみたいというニーズに支えられていたけれど、今では、携帯電話で同じことができるようになった。ホテルの宿泊やコンサートチケットの予約、銀行の振り込みができたり、電車の時刻表やニュースや天気予報を知ることができたりと、さまざまなサービスも登場している。電話ができるということは、そのうちのほんの一部の機能に過ぎなくなった。

 携帯電話の進化を見ていると、便利さに完成形はないのだと思えてくる。電話自体はもともとがユニバーサルデザインだけれど、そこに新たな技術やアイデアが加わることで、使い勝手が向上し、より多くの人にとって便利なものになっていく。
 わずか50グラムの通信機器が次々とバリアを消していく様子は「障害者のために」といった福祉的なものではなく「便利なものが普及する」という市場原理に基づいていて実にスマートだ。

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Last Update : 2003/02/24