ティッシュペーパーの箱が薄くなって、買い物がとても楽になった。従来品は5箱セットで高さが40センチ以上もあって、軽い割には運ぶのに一苦労。それが今では25センチに。小さな子どもでも引きずらずに持ち運べるだけでなく、保管場所にも余裕ができた。
ところが、箱がコンパクトになったおかげで、新たな不便が生まれた。ティッシュボックスにかぶせて使う木製カバーとの間にすき間ができて、中身を取り出しにくくなった。ティッシュペーパーの箱の高さは長らく83ミリで、これまでカバーは、この高さに合わせて作られてきた。50ミリにまで薄く進化した現在の箱に合わせるには、上げ底をするか新調することになる。
実家には、中学生のころに初めて買ったさだまさしさんのLPレコードが置いてある。でも、レコードがCDへと切り替わり、レコードプレーヤーを処分してしまった今ではそれを聞くことができない。ビデオでは「ベータ」と「VHS」の規格戦争があったけど「VHS」に一本化された現在は「ベータ」のテープに録画した映像も見ることはできない。
各家庭に普及してきたパソコンのデータ保存用として主流だったフロッピーディスクは、大容量のMOやCDといったものに取って代わられ、フロッピーディスクを読み込む機械が消える日はそう遠い先のことではなさそうだ。
そう考えると、規格は「末長く使えるもの」であってほしいと思う。
「牛乳パックには小さな切り込みを入れる」「シャンプーの容器本体にはギザギザ模様を付ける」といったアイデアは、規格化されることによって急速に広まった。使いやすさを実現するアイデアの規格化は、社会のバリアフリー化、ユニバーサルデザイン化の起爆剤と言える。
ところが、規格を作ることにはもろ刃の剣といった面がある。物作りやサービスの開発は、規格を拠りどころにして進められていく。そのため、今後、新しいアイデアが生まれても、それが採用されにくくなってしまうのだ。途中で規格を変えてしまうと、これまでにでき上がったものが使えなくなったり、作り直さなくてはいけなくなったりする。社会の基盤にかかわるような規格の場合は、大きな費用と労力を伴うために、なおさら容易ではない。
バリアフリーやユニバーサルデザインの規格やルール、基準といったものは、今後、新たに作られていくことになる。いわば、障害の有無や年齢、国籍などにかかわらず、だれにとっても利用しやすい物作りやサービスを実現するための約束事ができるわけだ。
これまで高齢者や障害者、外国人といった人たちは、利用者であることが忘れられがちで、こうした「規格外の人々」があちこちで不便を感じていた。
今後作られる規格は、より幅広い人の利用を想定したものであってほしい。規格作りは最初が肝心――ティッシュボックスの教訓が、そう教えている。
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