震災の教訓

バリアフリー観察記2002年

震災の教訓

 宇宙飛行士の向井千秋さんがある対談の中で、クイズを出した。
「スペースシャトルの機内ではとても貴重な機材をたくさん使うのだけれど、クルーが一番大切にするものは何か?」
 よほど高価で希少な実験装置でも紹介するに違いないと耳をすましたところ、実は、トイレだと聞いて拍子抜けした。7人のクルーが1日に必ず何度も使い、しかも1台しかない。実験機器が壊れたら予定を次回に延期することはできるけれど、排泄はどんなことをしても延期できない。だれも見ていないのだから宇宙空間にしてしまえば……と思ったが、真空の宇宙に直接排泄しようものなら、瞬間的に血液中に気泡が吹き出し、人間は即死するのだそうだ。
 トイレがあるのが当たり前の生活をしている身としては、かなりの難問だった。

 通勤途中に電車を降りて、トイレに駆け込んだことが何度かある。デパートや書店に行ったときにもトイレを利用することは少なくない。やっとの思いで駆け込んだのに使用中だったりすると、絶望的な気持ちになってしまう。

 コンビニや映画館、駅やデパートにトイレがなかったら、どうなるだろう――。こんな、非現実的とも思える問題に、日々直面している人たちがいる。車いす使用者だ。脚が不自由な人たちは、和式のトイレは使えない。街には洋式トイレが増えてはいるものの、そのほとんどは出入り口のトビラの幅が狭くて車いすに乗ったままでは中に入ることができない。これでは、街の中にはトイレがないも同然。彼らはまさに、トイレを求めてさまよう難民だ。

 トイレの大切さを身にしみて知っているのは、95年1月に起こった阪神淡路大震災の被災者たちだ。一瞬にして家が倒壊し、居場所を失った人たちは、学校の体育館や公民館などに避難した。入り切らない人たちは、真冬のグラウンドにテントを張って生活した。そのとき、人々が真っ先に求めたものは、毛布でも食糧でもなく、十分な数の仮設トイレだった。

 初めのうちは、地面に穴を掘り、まわりをシートで囲ったトイレがあちこちに作られたが、すぐにいっぱいになって使えなくなってしまう。トイレを求める人の数に追い付かず、一つのスペースに複数の人たちが同時に、という極限の状態もあったという。とにかく、足りなかった。食事は2、3日は我慢できても、排泄を我慢することは、絶対にできない。

 最近は車いす使用者に配慮したトイレが増え、難民をやや安心させてはいる。とはいえ、その数はまだまだ十分ではない。10階建てのビルがあるとすれば、各階のトイレすべてにあればいいのだけれど、実際には2階、4階、6階、8階、10階というように配置されていたり、ビルの中の1カ所だけというところも少なくない。そのありかを事前に知らなければ、いざというときに悲惨な思いをしてしまう。だから彼らは、行動範囲にある車いす用のトイレの場所を克明に記した地図「トイレマップ」を作って持ち歩く。それでも、初めての街や旅行に行くときには、大人用の紙おむつを利用したりする。

 あるとき、知人のスポーツ記者から「介護用おむつはどこで買えるの?」と尋ねられた。身内に寝た切りになった人がいるのかと思ったが、取材で使うのだという。外国で行われる大きな試合に行くのだけれど、一度観客席に座ると超満員の会場ではなかなか移動ができなかったり、トイレに行っても行列ができていたりするため、おむつをはきながら取材をするのだそうだ。そんな姿で記事を書いている彼を想像すると何ともおかしく思えたが、問題はそれほど切実だということだ。

 街は、トイレがあるから成立していると言っても過言ではない。それも、ただあればいいのではなく、十分な数が必要だ。震災が残したトイレの教訓は、その後、生かされているだろうか。

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Last Update : 2003/02/24