1953年に制作された映画「ローマの休日」は、王女と新聞記者のひょんな出会いから生まれる恋物語だ。あるとき王女は、自由のない窮屈な毎日にうんざりして宮殿から逃げ出してしまう。そこで一人の新聞記者と出会うわけだけれど、広場でアイスクリームを食べたり、カフェでシャンパンを飲んだり、美容院で髪をバッサリと切ったり、バイクで街中を走りまわったりと、つかの間の自由を満喫する。登場する場面を見ればごく普通の市民生活にもかかわらず、王女の表情は実に生きいきとしていて楽しそう。まさに、籠から飛び出した小鳥のようだ。
市民の生活を満喫して楽しそうだなんて、50年も前のおとぎ話だけのことだと思っていたけれど、実は、そうではなかった。
電車に乗っていると「さっきの人は無事に降りたかな」と気になることがある。車いす使用者が電車に乗るときの業務放送は、お決まりのフレーズで締めくくられる。
「乗車終了。○○駅下車」
降りる駅では乗車時と同様に駅員さんによるサポートが必要なため、あらかじめ車掌さんに伝えているわけだ。電車が目的の駅に着いたときには、事前に連絡を受けていた駅員さんが出迎え、降車口で車いすを持ち上げてホームに降ろしてくれる。
一見、十分に配慮が行き届いているようだけど、車いす使用者がこれに不満を感じているのだと聞けば興味がわいてくる。これ以上に手厚いサポートがあるだろうか、と。
ところが、当事者たちの希望は意外なところにあった。
「好きなときに、好きなところに行ってみたい」
驚いた。今の時代に、ごく普通の人たちの中にこんなことを考えている人がいたなんて。
会社の行き帰りであったり、旅行であったり、買い物であったり、電車を利用する理由はさまざまだ。その途中では予定外の駅で降りることもある。時には、ふらりと電車を降りて街を歩いてみたい、なんてこともあるだろう。でも、車いす使用者にそんな自由はない。何しろ目的の駅では、駅員さんたちが腕まくりをしながら出番を待っているわけだから。文字どおり「敷かれたレールの上を歩くだけの人生」といった感じで、その姿は宮殿から逃げ出した王女さまと重なってくる。
「知らない街角を曲がると、それはもう旅です」なんてフレーズがあったけれど、無計画に行動したくなることって、結構ある。でも、ただそれだけのことを夢や希望だなんて言わなくてはならない人たちが現代にいたなんて、知らなかった。行きたいと思うところに自由に行きたいという思いは、自分で食事をしたい、トイレには自分で行きたいといったことと同じレベルのものだった。
車いす使用者からは「駅にエレベーターを設置してほしい」「ホームと電車の間のすき間や段差を解消してほしい」といった要望が挙げられる。そうすることで、駅員さんを待ちながらガラガラに空いた電車を見送ることもなくなるし、ふらりと電車を降りて街を散歩することができるようになる。こんなことは当たり前のことで、彼らは何も特別なことを要求しているわけではないのだと知った。
困っている人がいれば手を貸すのは当然だ。でも、それだけでは解決しない根本的な問題がある。解消できるバリアは、それほど時間をかけずに減らしていく必要がある。何しろ彼らは、王女さまでも王子さまでもない、ごくごく普通の人たちなのだから。
トップへLink