高齢者は社会的強者

バリアフリー観察記2002年

高齢者は社会的強者

 高齢者は社会的弱者だと言われている。弱者という言葉の響きから「社会的に力のない人たち」だと思い込んでいた。ところが、とんでもない間違いだった。高齢者の医療や介護、年金が国を挙げてのテーマになっているように、日本という国が、高齢者を中心にまわっているのが現状だ。

 1999年16・7パーセント、2000年17・3パーセント、2001年18・0パーセント、2002年18・5パーセント。日本の高齢者が総人口に占める割合は今日も明日も増え続け、2015年には25パーセント、2050年には35・7パーセントとなってピークを迎えると予想されている。
 こんな数字を並べてみてもピンとはこないものだが、銀行の利息に置き換えてみると、結構すごいことになる。100万円を1年間預金するとして、1999年には1年で116万7000円にしか? ならなかったものが、2015年には1年で125万円になり、2050年ごろにはなんと135万7000円にもなる計算だ。

「現在は、労働者四人で一人の高齢者を支えているものが、2025年には二人で一人になる」なんて聞くと、将来の不安が現実味を増してくる。とはいえ、65歳を過ぎてからも働きたいという人が増えていることも事実だ。統計では、65歳を超えた人はすべて「高齢者」に分類されてしまうけれど、まだまだ気持ちは若いぞ、肌の色つやだってこんなにいいぞ、健康診断では「40代の健康状態です」と太鼓判を押されている! という人だっているはずだ。田舎の父はすでに高齢者の仲間入りを果たしているけれど、暑い夏に、黙々と庭の草をむしり続け、ジリジリと太陽に焼かれながら屋根の塗料を塗り直している様子を見ていると、その体力や根気強さにはかなわないと思う。

 生命保険の営業の人からは「長生きのリスク」なんて言葉を聞くことがある。平均寿命が延びたことで、病気になったり体が不自由になったりする確率が増えているということらしい。でも、だからといって「長生きはしたくない」とは思えない。
 少子高齢化社会は「若い人たちより高齢者の発言力が強い社会」と言い換えることができる。障害者が声を上げてきた段差の解消や階段の手すりの設置、エレベーターの設置などは高齢者が増えたことでその実現が加速した。高齢者の絶対的な数の力が、社会を変えるエネルギーになっている。それによってあと5年、もう10年と働き続けられる人たちが増えていく。

 生物学的な理屈でいえば、遺伝子を子どもに伝えた時点で生物としての役割は終わり、孫が生まれるまで生きていなくてもいいということらしい。でも人間が、孫やひ孫が生まれる年齢まで生きるのが当たり前になっていることには「意欲ある人たちを労働力にし続ける社会をつくる」という意味が一つありそうだ。

トップへLink

Last Update : 2003/02/24