携帯電話とバウリンガル

バリアフリー観察記2003年

携帯電話とバウリンガル

 携帯電話を使って、メール交換を楽しむお年よりが増えているという。東京の大学に通っているお孫さんに、写真付きのメールを送っているおじいさんの姿がテレビ番組で紹介されていた。写真の絵柄はおばあさんの笑顔だった。「携帯電話を持っていますか?」という街頭インタビューに「今、習ってるの」と嬉しそうに答えている別のおばあさんも印象的だった。

 今や、日本人の二人に一人が持つという携帯電話。使用頻度に違いはあるものの、年齢や性別にかかわらず、多くの人に受け入れられているようだ。と同時に「通信費が家計を圧迫している」などとも聞くようになった。一家で月に2万円というのはザラで、中には「5万円」という人もいた。固定電話のほかに一人ひとりが電話を持ち歩くようになったのだから、ある意味、当然といえば当然。でも、ハンバーガーが1個59円で売られ、お父さんが昼休みに立ち食いそばをすすっている一方で「家庭の通信費がこの5年間で30パーセント急増」などというのは、やはり尋常ではない。
 人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲だけれど、若い人たちが、その一つである「食費」を切りつめて通信費を捻出しているなどという状況を、一体どう理解すればいいのだろう。

「“見えないこと”と“聞こえないこと”のどちらが辛いと思う?」
 そう問われたら、おそらくは“見えないこと”と答えると思う。聞こえなくたってどこへでも自由に行くことができるし、筆談をすればなんとか会話も成立する。テレビだって見ることができるし、息子の笑顔や成長もこの目で見ることができると思うからだ。
 ところが、実際にはそうではないらしい。「見えない」「聞こえない」「話せない」という三重苦を負っていたヘレン・ケラーが一番辛いと答えたのは「聞こえないこと」だったという。先天的に見ることも聞くこともできなかったヘレン・ケラーは、結果的に話すこともできなかった。彼女の言葉を言い換えれば「見えないことよりも、話せないことのほうが辛い」ということになりそうだ。

 身の回りを見渡すと「話せないことの辛さ」を物語る現代の事例に気付く。テレビに映し出された高齢の男性は、生まれながらに聴覚障害を持っていた。この男性の自宅には何人かのヘルパーさんがスケジュールを組んで交互にやって来るのだが、手話ができるヘルパーさんが担当のときには男性の表情が途端に明るくなり、ものすごい勢いで手を動かして話しかける。他のヘルパーさんとも筆談をするものの「手話ができて嬉しい」というのだ。
 また、北朝鮮に拉致されて以来24年ぶりに帰国した浜本冨貴恵さんは、あるとき同窓生に次のように話したという。
「毎日泣いて日本に帰りたいと思っていたが、ある日を境に泣くのをやめ、生きてやろうと思って朝鮮語を勉強した」
 極端な事例は、物事の本質を分かりやすく示してくれる。

 現代の人間関係は、以前と比べて随分と希薄になったという。大家族制はとっくになくなり、核家族もすでに崩壊。もはや「孤食の時代」と言われるようになった。生まれつき耳が聞こえない赤ちゃんはお母さんと声のコミュニケーションを取ることができず、情緒的に不安定になりやすいという。人間が必要としているコミュニケーションの量が決まっているとしたら、携帯電話中毒のようにも見える若者は、その不足分を必死で補っているのかも知れない。そう考えたら、こんな時代に犬の鳴き声を人の言葉に翻訳するオモチャ「バウリンガル」(Link)が大ヒットしている現実も、納得がいくというものだ。

 電車やバスでの移動中だけでなく、食事中でさえもメールをやり取りし、夕食が終わると部屋にこもって長電話をする――。そんな若者の姿を奇異に思うこともあるけれど、根本的には、本能の働きが関係しているのだと考えたら、彼らの姿も違って見えてくる。

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Last Update : 2003/03/04