自動販売機で缶ジュースを選びながら、一瞬、どちらのボタンを押そうかと迷った。350ミリリットル入りと500ミリリットル入りが並んでいて、同じ製品なのにどちらも120円なのだ。のどの渇き具合に合わせて選んでください、というわけだ。
中高生のころなら、多少無理をしてでも500ミリリットルを飲み干したに違いない。
最近になって、新しい価値を実感することが増えてきた。ペットボトル入りの水が店頭に並んでいても違和感がなくなってきたし、濃縮酸素を吸い込む家庭用の機器まで発売されるようにもなっている。エアコンメーカーの調査によれば、現代人は「おいしい・快適な空気」を得るためなら月に2125円、「おいしい水」のためには月に2525円を支払ってもいいと考えているらしい(Link)。いずれも全国平均だけれど、これまでタダだと思っていたものに対するコスト意識は、確実に定着してきたようだ。
電気店の棚には、環境に配慮した製品が増えてきた。省エネ型はエアコンやテレビをはじめ全般的に言えることで、水の使用量が少ない洗濯機、オゾン層を破壊するフロンガスを使わない冷蔵庫といったものもある。“何かができる”といった機能ではなく、地球環境に配慮しているという新しい価値に値段が付けられるようになってきた。自分のためのコストではなく「みんなのため」のコストを一人ひとりが支払う時代になってきたわけだ。
ワークシェアリングという言葉を聞くようになった。8人分の仕事しかないところに10人の労働者がいれば、2人を解雇することなくみんなで仕事(work)を分け合おう(share)という考え方だ。労働時間は短くなって一人ひとりの収入は減るものの、雇用は確保される。失業率が悪化する中で、企業と労働者がお互いのメリットとデメリットを譲り合って当面の問題に立ち向かう方策として注目されている。
この言葉を初めて聞いたのは、障害がある人の生活情報を紹介する雑誌の編集に携わっていたときだった。1980年代にオランダやドイツ、フランスの大企業を中心に導入が進んで、経済状況が厳しい中でも雇用を確保したり、新たな雇用を作り出したりすることに成功した。これが定着すれば、障害がある人とも仕事を分け合ったりする成熟した社会になるということだった。
「個人の豊かさの追究」から「みんなの豊かさの追究」へと人々の意識が変わってきたことで、新しい価値が生まれている。生活に必要な物はほぼ満たされて、物があることが豊であるという単純な考え方でなく、心の持ちように価値を見い出す時代になってきた。時代を動かしているのは、質的な豊かさへの欲求だろうか。
ところが、こういう変化を「とても素晴らしい」と理解できても、気持ちは複雑だ。
外観や内装ではなく、排出ガスの量が少ない自動車に魅力を感じる気持ちが確かにある一方で、省エネ型だからといってエアコンをつけっ放しにしたり、こまめな温度調節を怠ったり、ビールより安いからといって、ついつい発泡酒を飲む量が増えたりしている。そんな自分の姿を思い浮かべながら、収入を削ってまで仕事を分け合ったりすることが、今の自分にできるだろうかと考えたりする。
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