「今から帰るよ」「買い物中です」「これから寝ます」……。携帯電話で電子メールを送ったり受けたりすることが、珍しくはなくなった。旅先からでも出張中でも、海外からでも、電話をすることなく、相手のじゃまにならずに「今」を共有することができるようになった。
携帯電話を変えた。店員さんはカメラ付きやテレビ付きなど、いろいろなタイプを説明してくれたものの、結局、一番シンプルなものを購入した。
携帯電話には、実にたくさんの機能がついている。電話ができることはほんの一部で、カメラ付き、ムービー録画やテレビ電話の機能さえも当たり前。書店で情報誌の必要なページを撮影し、情報だけ持ち帰ってしまう人たちが増えているというのも皮肉な一面だ。すべての人がカメラを持ち歩くようになって「有名人は気が抜けなくて大変だ」とも、思ったりする。
機能やサービスが追加されるたびに、新しい機種に変える人は少なくない。つい先日、新しい携帯電話を手にして機能やサービスの充実ぶりを話題にしていた知人が、テレビカメラ機能付きのタイプが発売されると「電話番号が変わりました」と、メールを送ってきた。
呆れるほどに多機能になった携帯電話だが、その最新機能に敏感なのは若い人たちばかりではない。
長谷川貞夫さんという全盲の男性がいる。昭和一桁生まれだが、携帯電話の新サービスや新機能には極めて敏感だ。複雑な料金体系やサービスの使い分け、携帯電話が通じる地下鉄などの実用的な情報に詳しく、関心がある新機種は発売当日に手に入れて使い勝手を試している。
レンズの解像度を視力表で測定したり、被写体にどこまで近づけて撮影できるか、ズームの操作性はどうか、バッテリーは何時間もつかなどなど、事細かにその性能をチェック。以前よりカメラの精度が上がれば「視力が0・1から0・17になった」、暗い場所での撮影もできるようになれば「夜盲症が治った」と、その表現はかなり個性的。ホームページ(Link)のレポートを見ていると、新機能を試しているというより、研究しているといった感じだ。
書類やはがきを読んだり、特定のスペースに名前を書いたりハンコを捺したり、缶詰めの中身がサバの味噌煮なのかあんみつなのかを判別したり……。さらには、食品の調理法や賞味期限、手紙の差出人、名刺に書かれている電話番号などなど、見えない人が見える人の力を借りてこれらを知るには、家まで来てもらう必要がある。だが、テレビカメラ機能を使えば、コンビニの棚の前から電話をかけ、何種類ものおにぎりが並ぶ棚から、自分の好きなものを迷わずに買うことも可能になるのだ。
長谷川さんは、携帯電話のテレビカメラ機能が、目が不自由な人たちの生活を変える大きな可能性をもつと確信している。見えない人が目の前の様子を写し、電話を受けた人がその様子を声で伝えれば、テレビカメラ付き携帯電話が視覚障害者の「目」になるというわけだ。
車いすやベッドの上で生活をしている人が、家にいながらにして視覚障害者を支援できるようにもなる。このような支援が公的な仕事として認められ、視覚障害者と在宅の障害者の両方のメリットを作り出すことができる。そんな期待もある。
「話せりゃええやん、電話なんやし」
自分が使う分には、確かにそう思っていた。だが、携帯電話は、すでに電話ではなくなっている。「今」を共有するための機能とその性能アップが、思ってもみない形でのコミュニケーションを実現させていた。
関連作文「携帯電話とバウリンガル」Link
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