個性はだれのもの?

バリアフリー観察記2003年以降

個性はだれのもの?

 絵画を趣味にしている親戚がいる。鑑賞ではなく、自分で描く。暗い色づかいと雪国の田舎の風景が特徴で、いくつかの賞をもらったりしている。所属する会のメンバーと共同で開いた展覧会を訪ねたが、畳2畳分はある大きなキャンバスには、深い雪に覆われたカヤと小川が、深いアメ色で描かれていた。
 展覧会の期間は1週間だが、ギャラリーのスペースレンタル料、作品運搬費、宿泊費、その他の滞在費などを積算すると、1回で約50万円の出費になるという。それでも定期的に展覧会を開くのは、より大きな賞を審査する審査員に自分の作品を見て、覚えてもらうためだという。「そのために、何を描いても同じ色あいになってしまう」という苦笑いの話を聞きながら、本来は自由な趣味の世界でありながら、何とも本末転倒な感じがした。

 スポーツの世界でも、実は同じようなことがある。体操競技や新体操、シンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートといった芸術系の採点競技では、審判員の印象で点数が決められる。オリンピックや世界選手権で勝つためには“過去”の実績や印象が重要で、ずっと2位だった選手が大舞台で個性的で完成度の高い演技をしたからといって、なかなか1位になることはできない。
「ほんと、タイム競技がうらやましい」
 シンクロの全日本ヘッドコーチを務める井村雅代さんは、オリンピックの舞台で世界ナンバーワンのロシアを上回った実感を持ちながらも、調子の上がらないライバルの演技に10点満点が並ぶ掲示板を見ながら、そう言って悔しがったことがある。

 こんな出来事を見聞きしながら、一つの疑問が浮かんできた。
「個性とは、一体だれのものなのか」
 考えるまでもなく、自分のものであるに決まっている。だが、周囲の人たちにとって魅力的な存在であるための個性という、これまで一度も考えたことがない側面があるのではないか。「自分らしさ」と言い換えることができる個性が他人のためにあるなどと考えたら気分が暗くなるが、個性には、自分用と他人用の二種類があるのだと考えればいい。両者が一致していることもあるが、そうでない場合もある。

 この発見は、割と大きな出来事だった。個性は自分用のものしかないと思い込んでいた上に、今から思えば他人用の個性を自分用の個性だと思い込んでいた。その結果、個性的であろうとするあまりに無理をして、結果的に自分らしくなかったと反省をしてしまう出来事を、少なからず経験しているからだ。
 個性と利己主義とは紙一重だが、「個の時代」といわれる今の時代に、他人の評価など気にすることなく、自分自身の満足のためだけに没頭できる個性がないのは、なんとももったいない。

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Last Update : 2004/09/17