近所の不動産屋さんの店頭に「お客様第一主義」のノボリが立ったのは、6年前のことだった。地価が右肩下がりの時期だっただけに、お客さんを大切にする姿勢を最大限にPRしようとしているのだとは思いながらも、なぜかすっきりとしない違和感が残った。
それから数カ月後、その場所は建物が取り壊され、きれいな更地になっていた。
「お客様第一」が“ウリ”にされることは、決して珍しいことではない。郵政事業庁が2003年4月1日に日本郵政公社になったとき、近所の郵便局の壁には「お客様第一主義」の文字が躍っていたし、最近は、電車の中吊り広告でもこの文字を見ることがある。インターネットを検索すれば…。言わずもがな、だ。でも、それらに触れるたびに違和感が残り、疑念が沸いてくるのはなぜだろう。
重病を患ったとき、待合室に「患者第一主義」などという貼り紙をした病院では手術を受けたいとは思わない。「被害者第一宣言」などという垂れ幕を下げた警察署があれば、不都合なことはすぐにもみ消されてしまいそうな不信感が先に立つ。当たり前なことをことさらに強調すればするほど、実際にはそうではない心のありようがくっきりと透けて見えてしまうのだ。
「お客様第一」は本来、工事現場の「安全第一」という看板や、会社の役員室に掲げられている「真心第一」といった社訓と同じものだ。だが、「安全第一」も「真心第一」も工事をしたり接客をしたりする自分たちに向けたものであるのに対して、ノボリや広告に掲げられた「お客様第一主義」は、それが、恥ずかしくもお客様に対するPRとして使われている点で全く違っている。
たとえば今、「バリアフリーであること」をことさらにウリにされると同じような気持ちになる。バリアフリーという言葉が日本で爆発的に広まったのは、長野オリンピックを翌年に控えた1997年だった。オリンピックの後にはパラリンピックが開催されるため、「障害」というテーマが脚光を浴び、段差をなくした住宅が次々と発売されたり、盲導犬を連れて店内に入ることを認めるスーパーが登場したり、車いすのまま乗り降りしやすい低床バスが導入されたりと、バリアフリーへの配慮が一気に加速した。そのムーブメントは、より多くの人の使いやすさを追究したユニバーサルデザインの商品やサービスの提供へと発展している。そんななかで「バリアフリーであること」をウリにし続けることは、そろそろ恥ずかしいことになりつつある。
現在の倍の金額を支払わなくてはマイホームを手にできなかった十数年前は、商品やサービスの提供者が優位な売り手市場だった。それが今では、ほとんどの日用雑貨が100円玉一つで買える買い手市場になった。その間に、日本一の牛乳ブランドが姿を消したりもした。そういう時代の切り替わりの時期にこそ、会社の生の姿が見えてくる。企業や組織の責任者が「遺憾」を口にしながら頭を下げる映像を見るたびに、残念ながらその顔には、お客様第一主義の看板が張り付いているように見えてしまう。